サッカーの中田も、野球のイチローも、体操の内村航平も、偏食主義者だ。
食べ物の好き嫌いを抑圧しない人間は、身体能力が高いように思える。
身体感覚を尊重し、生理的に素直でいることは、アスリートにとって重要なことみたいだ。
身体感覚を敵にまわさず、身体と心を調和させる。
現代の栄養学を全否定するつもりはないが、
現代の栄養学は、かなり「残念なレベル」なのかもしれない。
すくなくとも、「身体と心の調和」は「野菜を食べること」よりも重要だ、という事実を、
彼らの実績が証明している。
アスリートだけの問題だろうか。
食べ物の好き嫌いを悪とみなす文化を疑ってみたいと思う。
食べ物の好き嫌いを抑圧された人間は、身体が抑圧されている。
食べ物の好き嫌いを抑圧された人間は、感性が抑圧されている。
食べ物の好き嫌いを悪とみなす教育の目的は、実はここにあるのかもと思う。
抑圧の訓練。
社会を維持するための、抑圧の訓練。
つまり、「わがまま」をコントロールする訓練。
この訓練の必要性をシブシブ認めつつも、
その弊害も認めろよ!!! というのが結論です。たぶん。
※おまけ1
必ずしも、野菜は必要ないのかもしれない。
ビタミン剤に頼らなくても、野菜は代換補完できるのかもしれない。
人間の身体は、「栄養学的代換補完機能」をそなえているのかもしれない。
例えば、パプアニューギニアの人々は、タロイモであの肉体を造り上げる。
彼らの身体は、腸内細菌によってタンパク質を創り出すらしい。
人間の身体は、足りない栄養素を創り出せるのかもしれない。
他の、進化の過程で生物が獲得した諸能力と比べて、ありえないはなしじゃない。
※おまけ2
食事はアートじゃないのか。
たとえば「モーツァルトもAKBも好き嫌いせずに聴け」なんて、
教えていいのか?
いろいろ、考え中。